– 第11話 – 「「茶道=京の街」説」
2003年5月11日(日)
ここのところ、週末は毎週のように京都の繁華街にくりだしています。つまり、4月から来て、5、6回は四条、河原町、寺町、新京極、烏丸御池あたりの通りを行ったり来たりしているわけです。
おかげで通りの名前も随分覚えました。地図も何度も見たし、道も何度も尋ねました。
私は、道はだいたいの雰囲気で覚えられるので、一度周りの風景を目に焼き付けておけば、二度目はたいていぼーっとしてても器用に行けてしまっていました。
が、そのあいまいな器用さが、京の街では全く通用しないのです。
言ってみれば、体内コンパスが乱れまくって、富士の樹海を彷徨うかのごとくになってしまうのです。
理由としては、あまりに整然と縦横同じように通りが連なっているからだと思います。それぞれが似すぎていて、私の中途半端な覚え方では、違いがわからなくなってしまうのです。
地図を見ても迷います。道の情報を正確に体に染み込ませないと、そして、全体図を把握してないと、一つの通りだけを見てても、隣りの通りに何があるかはいつまでたっても理解できません。
で、今言ったことは、茶道に対する私の印象と全く一緒なことに、彷徨って疲れきった帰りのバスの中で気づきました。
私の覚え方では、京の街も茶道もたちうちできません。
思うに、きっと大本命の言語学も同じ現象を感じそうな気がします。逆に言えば、茶道と京の街を自分の中で整理できれば、日本語の本質も見えてくるんとちゃうかな、とまで思ってしまいます。
あの、複雑な統一感をうまく表現できるような地図(データベース)を作りたいです。
4月の頃よりはマシになってきたでしょ。
( 2003/05/11 0:28 am )>


